獅子舞の歴史観について、獅子舞応援団 団長、東京讃岐獅子舞 代表である中川あゆみの見解を示しておきます。
あくまでもわたし個人の説です。
通説や出回っている情報は信用していません。
物事の真実を知ることは大変難しく、直接目で見て確認したとしてもそれは一方向からの情報にすぎないため、全体像を把握するには不足しています。
それを踏まえて出回っている、入手しやすい情報はすでに誰かの解釈や主観で編集されています。
原文と翻訳ではニュアンスが違うのと同じですね。
それらを否定はしませんが、それを真実とするよりはフィクションのひとつと捉えています。
歴史観の大前提
そもそも現代の文化的価値観で測るのはナンセンス。
ネットもない、新聞もない、電話もテレビもない。
狼煙や矢文、早馬の時代。
えいやと同時に広範囲に同じ情報が流れることは無理ですよね。
特に山間部や農村。
では情報の伝達手段は?
誰もが簡単に関所を通れたわけもなく。
体力も費用も必要だったでしょう。
となると、主に情報を広めていたのは商人や役人、旅人ですね。
いくら小さな日本とはいえ、全く同じ情報源から広まるとも考えにくい。
さらに伝言ゲームよろしく、そこにはすでに解釈が含まれている。
そして、書物や絵に残されていない文化は口伝でしか残らない。
その口伝も伝言ゲームに過ぎず、発祥はわからない。
つまり、歴史とは学者が証拠を揃えて推察したもの。
文化史も伝えられていることを誰かがどこかのタイミングで記録したもの。
獅子舞プレイヤーたちなら頷くところでしょうが、獅子舞をやるのが好き過ぎて、自分たちの記録を残そうと意識しない限り、何も残りません。
昨年立ち上げた雷会も、祭りの様子や過去の獅子舞の写真を探していますが、自分たちが子どもの頃より古いもの、前世代のものは出てきていません。
ほんの直前史でさえ証拠がありません。
受け継がれているのは言語化して説明するのが難しい感触、空気など目に見えない感覚的なものです。
ちなみに使われている用語も漢字の意味よりもカタカナの音を重視します。
当時の人々が皆、字を書けたわけではなく、口語の音で伝わったと考えているためです。
そのため、獅子舞の歴史を読み解くためには各地の方言も重要だと考えています。
これもわたしの見解にすぎません。
ここに至る背景
わたしはテレビは時代劇優先で、小学生の頃は父&兄弟と剣道で育ち、殺陣のインストラクター経験があります。
2014年にある御仁と出会い着物スイッチが入り、着物をよく着るようになりました。
そして2016年からは毎日着物を着るようになり、会社にも着物で通勤しました。
そこで、着物の通説は俗説でしかないという結論に至りました。
まず「ねばならない」着付けのはじまりについて、以下の2点の当事者から直接伺った証言をご紹介。
①着物の写真が雑誌に掲載された当初の話。着物の柄をよく見せるために見えないところをクリップで留めてシワを伸ばして撮影。
②歌舞伎などの舞台役者が役のために身体を大きく見せる必要があり、プロテクターや補正をして着物を着た。
そして本来、着物の着方は職業で様々でしたね。
ということから、現在の着物の通説はビジネスの意図が組み込まれていることが容易に想像できるわけです。
なので、わたしは一切補正をしないで着物を日常着として着ます。
ではやっと、獅子舞について
2017年に活動を開始し、研究を目的としていないにもかかわらず得た情報だけでも、日本の獅子舞の種類は大変豊富です。
霊獣の種類だけでも鹿、牛、猫、虎、麒麟、獅子。。。
数多ある獅子舞の起源が全て同じとは言えないのではないかと思います。
これはあくまでも、あくまでも2018年4月時点での地元(香川県三木町)獅子舞に対するわたしの説です。
2017年に地元の神社史を調べ、宮司さんに話を聞きに行き、今更日本史を勉強した程度の浅い知識です。
今後、伝統工芸職人、和文化や他地域の獅子舞との出会い、民俗学の見地から変わる可能性は大いにあります。
女人禁制について
他の地域では子どもの役がある獅子舞がありますし、女獅子がある地域もあるそうな。
血の穢れ説は巫女と混同された話だと思うので、その地域の神社と獅子の関係性により一概に言えるものではありません。
では、ガチ女人禁制だったわたしの地域を語るにはまずは獅子の起源の推測から。
獅子の起源について
獅子舞は置いといて、獅子の由来は古代エジプトや古代メソポタミアに生息していたライオンではないかと言われています。
ピラミッドの前のスフィンクスですね。
それがあちこち経由してなんやかんやで日本に美術品として入ってきた。
当時は珍しいもの、美しいものは献上され奉納される文化だったと思います。
神社の狛犬の起源もこのあたりといわれてますがそれは話が逸れるので置いときます。
獅子舞の通説とは?
400〜500年前からあるとされる獅子舞。
室町時代、戦国時代ですね。
一説によると
獅子舞の起源は中国の獅子舞だとか。
獅子舞の起源は鹿踊りだとか。
獅子舞の起源は霊獣の力を借りて行った儀式だとか。
獅子舞の起源は酔って美術品を持って舞ったのが始まりとか。
その頃は男女の役割が明確だったようですね。
そして当時の日本で最高峰の舞は能。
上流階級や武士の教養だったような。
戦国武将が舞う話はなんとなく聞き覚えがありますね。
あの源義経は舞の名手だったとかなんとか。
ほら、源平合戦で香川に来てますよね。
獅子舞の油単でも武者絵は人気。
つまり獅子舞の起源とは
しつこいようですが、あくまでもわたし個人の説です。
わたしは獅子舞の起源は美術品である獅子を酔った勢いや豊作などの喜びに乗じてそれを持って舞った説を支持しています。
その舞の起源は能ではないかなと。
だからお囃子がある。
縁起物は神社に奉納するもので、いつの時代も男は張り合うもの。
各地域で隣の地域と美術品や舞で張り合い、いいと思ったら真似て、それが多種多様性として進化をした。
そして男が張り合ってるところに女は無用。
わたしの地域は獅子舞と神社の関係性から検証すると女人禁制の由来は「巫女と混同説」よりもそこだと思います。
うむ、なんともしっくりきます。
獅子舞をやりたい(祭で飲んで騒いで目立ちたい)男が多かったから、ことさら女は無用だった。
一緒になって獅子舞をやるよりも、女にはかっこいい姿を見ていて欲しいもの。
それを都合よく表現した言葉が「女が獅子舞をやるのはハシタナイ」
懐かしいですねぇ。
珍獣を見るような白い目で見られていたあの頃。
毎年毎年飽きもせず「いつまでやるの?」と言われていたあの頃。
秋祭りの獅子舞が終わったらええだけ飲んで打ち上げをする「ドウヤブリ」
年に一度の無礼講でお酒を飲んで獅子を舞って、大音響に激しく暴れて、トランス状態を楽しんだことでしょう。
伝えたいことに表現力が足りないとは思いますが、以上が現時点でのわたしの獅子舞に対する説です。
実際に獅子舞をやっているプレイヤーや和文化の魂を継ぐ者や伝統工芸の職人のそれぞれの説がたくさん出てくるといいな。
ぜひ、自分の地域ではどうだろうかとその土地に根付いている文化から想像して、既存の歴史観に左右されない自分なりの説を考えてみてくださいませ。
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